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           メール・マガジン

      「FNサービス 問題解決おたすけマン」

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    ★第181号       ’03−08−22★

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     八月連想

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●ただ「あの戦争、、」と

 

言えば我々の世代、<8月15日>が記念日になっている<あの戦争>

に決まってますが、どこと戦ったのかどころか、日本が戦ったことすら

「シラナ〜イ、、」若者を映し出すTV。

 

  おーい、教育界、もっと現代史に力を入れてくれ。 そんな<日本

  を知らない日本人>に、海外をウロツイテ恥をバラ撒かれては困る。

 

  日本国旅券は<日本人>に交付されるべきで、何なら<常識試験>

  で落とし、モノ知らず、マナー知らずは外に出さないとかせにゃ、、

 

  で、個人的には、渡航する若者に和英対照式のアンチョコ<日本>

  (新日鐵能力開発部著 学生社)を進呈し、携行させたりしたが、、

 

特別オカシイのを選りすぐったのかも知れませんが、無知を恥じる様子

も無い。 こんなバカが浮かれる国にするために、命を捧げたわけじゃ

ないんだぞ、、 折しもお盆、お帰りになったご先祖様もご覧になって

さぞ嘆かわしく思われたことでしょう。

 

亡くなった人に思いを馳せるイベントがたまたま重なるこの時季、必ず

しも宗教的でない我々ですが、どう生き、どう死ぬか、くらいは考えて

おいた方が宜しかろう。 

 

  敗戦時小5でしたが、集団疎開していた先がお寺だったこともあり、

  毎朝般若心経を唱えて生死超越。 出来ればカッコヨク、と願って

  ヒコーキ少年になっていた私ですが、当時はそれがアベレージ、、

 

 

大多数が仏式で葬られることからすれば、大多数のお宅で迎え火を焚き、

送り火までの間おもてなし、、と信じたいところですが、あなたのお宅

ではこの伝統行事、いかがでした?

 

僅かな日数ではあるけれど現世の家族一同、目に見えぬご先祖様と心を

通わせて過ごし、また来年、、と別れる。 この想像豊かなオママゴト

が自然に行なわれるような家庭だったら、

 

おぞましい犯罪に走る少年を生むことはそうそうあるまい、と私は思う

のですが、<化石>の錯覚かな? いや、姿無き相手すら奉る律儀な親

だったら、現実目前の我が子を大事にしないはずは無かろう、

 

そういう親なら、子も奉りやすかろう。 そんな親子関係が家族的信頼

の基本、そんな家族が健全な社会の基本単位。 既成宗教を信じない私

だけれども祖先崇拝にはコダワル(第121号既述)理由です。

 

*   *

 

身内を失えば誰でも悲しむ。 遅かれ早かれ別れは来るのだから、後々

悲しまずに済むよう、お互い生きているうち大いに仲良くしておくべき、、

という簡単な理屈が意外と気付かれず、また実行されず、

 

多くは改めて悲しみに浸り、様々工夫してはその克服に努める。 その

儀式も初め頻繁やがて時々。 普通33回忌か、長くて50回忌で三途

の川の両岸、ほぼ収まりがつく。 尤も、そこまで見届ける子孫は多く

ないだろう、今後ますます減るだろう。

 

幸い?早めに父を見送った私は数年前33回忌を営むことが出来、一同

和やか、笑いあれど泪無し。 50回忌もこの調子で、、と言いながら

も、いや、何があるか分からないからねえ、、とも。

 

その感覚からすると<58回忌、なお泪>は別格、並みじゃありません。

むろん、<原爆の日>平和記念式典のこと、、

 

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●誰をどう記憶し、

 

いつ涙ぐむか、は千差万別かつ自由。 しかしそれは個人や家族の範囲、

普通はひっそりしたもの。 また、多数市民が無惨に焼き殺された特別

な日(たとえば東京3月10日)を記憶する街はほかに幾つもあるのに、、

 

と思えば、やはりヒロシマ、ナガサキは別格です。 しかし毎年祈って

来たにしては、<世界平和>も<核廃絶>も一向に進まない。 技法的

には、ステートメントの大き過ぎ、です。 あれじゃ神様もお手挙げ、、

 

率直に見て<追悼>はすでに名目、<遺族>は舞台装置の一部、本質は

単にゲンバク反対の集い。 だが、<廃絶>が主目的ならその<方法>

では達成され得ないこと今や明らか。 核兵器の保有国、保有途上国が

増えることはあっても、捨てた、止めた、は皆無。 なら、

 

こりゃダメだ、と認め、止めるか、別の方法に変えるのが普通だろうに、

何十年一日の繰り返し。 どうやら集いの狙いは必ずしも<廃絶>では

なく、むしろ<唱える>こと、<続ける>ことらしい。

 

が、唱えることに意義がある、ではまるで<お念仏>。 相手に届くか

届かぬか分からず、効くか効かぬかは相手様次第、、 それで済ませる

のも一つの文化、ではあるが、所詮自己欺瞞、自己催眠、精神衛生。

 

それは<非核三原則>も。 核兵器を「持たず、作らず」は我が民族の

<何もしない>特性に適って遵守容易だが、「持ち込ませず」は相手の

あること、決然たる行動無しには達成できない。 即ち唱えているだけ、

即ち<お念仏>。

 

遵守できないと承知の上で掲げ続け、都合の良い解釈をコジツケて破り

続けて来た約束、、は<平和>憲法も、でしたな。 書き改めりゃ良い

のに<何もしない>で来た。 国の基本からして<お念仏>、、

 

 

同じ唱えるなら<お念仏>でなくこんな風に、と感じさせられた一例は

東京新聞8月9日、「劣化ウラン弾 米科学者語る」。 主人公は地質

学者ローレン・モレ女史。 もと核廃棄物地下貯蔵方法の研究者、今は

放射能が人体に及ぼす影響の研究者。 いわく、

 

「日本の科学者は、原爆体験を通じて放射能の影響を知り尽くしてきた。

イラクに向けて日本がすべきは自衛隊の派遣でなく、被爆者治療の知識

の提供ではないのか」。 で今回の来日では、日本の科学者に「放射能

のリスクに関する世界委員会」への参加を呼びかける由。

 

言われて気付く、では褒められないが、気付かないよりはマシ。 毎年

歴史的爆心地に集って平和を祈念しても埒が明かないのは、それがただ

求めるだけの姿勢だからでしょう。 ケネディ流、世界のために我々は

何が出来るのかを問い、だから<こうする>と宣言するのでないと、、

 

と書いていたら、イラク国連事務所にテロ攻撃のニュース。 <非戦闘

地域>などあり得ないことがこれで分かります。 復興支援の意図でも、

そこへ送り込むのがあいにく米軍ソックリ装備の軍隊まがい、

 

しかも武器使用条件の定義すら曖昧のまま、では隊員の命の保証は無い。

これで自衛隊派遣は暫し棚上げ、<何もしない>が続きそう。 いっそ

モレ女史ご提案のような援助なら、イラクのニーズにも、こちらの特性

にも適って<まさかの友>、実現が早かろう。

 

それでもやはり命懸け。 命なんか要らない、という人材を集めて特訓、

丸腰部隊を新規編成。 万一の場合の十分な補償を約束して後顧の憂い

無しとし、、 鴻池大臣、お願いします。

 

問題は<人材>ですが、、 非難を恐れずに言えば、自殺者年3万人の

我が国。 条件次第で、その1%くらいは派遣部隊に引き込めるだろう。

 

ホームレスから志願者が出るかも知れない。 若くなくちゃダメ、なら、

各地の少年院に応募を呼びかけよう。 彼ら無事帰国の暁には人生観も

改まって社会健全化に貢献、日本版平和部隊の創設につながるかも。

    (118号の「<建設的自殺>のアイデア」、ご参照下さい)

 

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悪ふざけ、とお腹立ち無きよう。 ブレーン・ストーミングでは、こう

いうトンデモナイのも排除しない。 瓢箪から駒、ですからな。 

  

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●コイズミさんが人気を得た

 

のは、その立場の人にしてはこれまでになく過激な言葉を発するところ

が新鮮に感じられたからでしょう。 しかしその割には、、でガッカリ。

 

和を重んじ、適当に辻褄を合わせてその場を切り抜ける、、ことも時に

必要だろうし、それが才覚、かも知れない。 が、お念仏を唱えるだけ

で<何もしない>、ではもう済まされなくなったことも事実、

 

近頃はやりの<マニフェスト>もそれゆえでしょう。 ラッパ<公約>

でなく、数値目標や期限、そのための手段や財源までを具体的に示そう、

という歓迎すべき傾向。 尤も、

 

永らく<お念仏>で来た人たち、急には変われまいが、見守りましょう。

ジョークの世界ではホラ吹き役の政治家が、これ実現します、こう実行

します、と約束させられる時代、

 

 

ビジネスの世界は尚更です。 しかもたいてい、<上>は流行に無節操。

自分がお念仏タイプであることを棚に上げ、あなたにはマニフェストを

求めてくるに違いない。 それ、モンダイですねえ。 たとえば 

 

<能力主義>や<成果主義>にも<上>は飛びついたが、結局うまくは

行かず、早くも<成果主義の「崩壊」>の由。 週刊朝日8月29日号、

<給料と直結やめた1部上場企業も出現>、

 

「すでに運用の形骸化などで中身が骨抜きに、、」、そうなるだろうと

思ってましたよ、<日本>では。 まず<何もしない>のお念仏文化を

改めてから採り入れるべきだったのです。

 

その意味で、<マニフェスト>方式は良いかも知れません。 具体的に

目標を掲げるので、かなり現実化される可能性がある、<お念仏>とは

違う。 しかしそれを掲げるには、

 

<何を>、<いつまでに>、<どのように>と調べ、考えることが必要。

そして各部分を論理的に整合させなくてはならない。 担当者、関係者

に情報提供を仰ぎ、それら断片を取りまとめ、、 となると、

 

おや、これは Rational Process の出番ですぞ。 まずSAで状況把握、

SUGで優先度の高い<何を>を決める。 次DA、<いつまでに>は

その中の重要な MUST。 <どのように>もDAだが、

 

そのヒントを掴むにはベスト・プラクティスの探索が有効。 それには

PAの IS NOT が役立つ。 最後、PPAで補強し、確実達成を図る、、

 

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遙かな過去に想いを馳せ、死生観に磨きをかける、、 <日本の八月>。

極楽往生を願って念仏を唱えるのは個人の自由。 しかし、多くの人が

関わる何かを何とかしようという場合、<お念仏>では何も起こらない。

 

何か唱える、けれども何もしない<お念仏>の人、どこにもいる。 が、

何かしなけりゃ何にもならない。 唱え方を変えてコミットして行けば、

これまで無かった何かが生じるかも知れない。 マニフェスト、結構!

 

 Rational Process は<お念仏>脱却、<マニフェスト>のツール!

                          ■竹島元一■

     ■今週の<私の写真集から>は、 ★大胆不敵★

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